正定事件とは

1937年(昭和12年)10月9日、中華民国河北省正定にあったカトリック宣教会から、フランス・シュラーフェン司教ほか8名のヨーロッパ人が謎の武装集団に拉致され、その後全員殺害されたと見られる未解決事件。

今、世界で広められていること

シュラーフェン司教ほか8名のヨーロッパ人宣教師及び一般信徒は、正定を占領した日本軍第6師団の一部将兵の慰安婦(200人)差し出し要求を拒絶、身代わりとして宣教会から拉致され殺害されたとして、現在司教の出身国オランダを中心に世界へ広められている。

シュラーフェン財団等による列福運動

司教ら事件被害者を顕彰することを目的として2008年に設立されたシュラーフェン財団やオランダの出身修道院などは、事件の研究成果を報告書にまとめバチカンの教皇庁に提出した。この審査はブラックボックス状態の中進められるので、進捗状況、結果の発表時期は全く分からない。

日本での様々な反応

列福運動の波が日本に到達したのは2012年、オランダで殉教者75周年の式典に日本カトリックの大司教が招待されたことに始まる。日本カトリック司教評議会は司祭を派遣し、オランダからの情報を鵜呑みにして現地で謝罪表明をした。


このことは後日カトリック新聞で報道され、日本の信徒に大きな衝撃を与えることとなった。事件につき疑問を抱いた一部の信徒が独自に研究を開始、当時の司教協議会のトップにあった大司教に日本軍による犯行の根拠の提示を求めたが拒否された。同じ頃、西村眞悟元衆議院議員がブログに正定事件を取り上げ、読者がカトリック新聞社、駐日バチカン大使館に問い合わせてカトリック側を驚かせた。


2015年になると、近代史研究家の田中秀雄氏が『正論』で正定事件の検証記事を寄稿、また事件の1次史料がフランスの外交史料館で発見され初めて日本に持ち込まれた。このことで日本軍の犯行を否定した外交文書、いわゆる森島参事官文書の存在が明るみに出た。


その後多数に上る外交文書や軍関係の史料分析が進み、日本では世界に先駆けて事件に関する研究書、『「正定事件」の検証─カトリック宣教師殺害の真実』(並木書房)が2017年に出版された。


2020年3月発行の「歴史認識問題研究 第6号(令和2年春夏号)」には、新たにフランスやオランダで得た史料を基にして書かれた論文、「正定事件研究―歴史認識と列福についての問題―」が発表された(下にリンク先掲載)。